今日は「4歳で他人との違いに気づいたと時の当時の話」というテーマで書いてきます★
最後まで見てもらえたら嬉しいです(人 •͈ᴗ•͈)
私は3歳か4歳くらいの保育園時代に自分が他人とは違うことに気づきました
前のブログで「保育園の時に違いに気づいた時どんな心境だったか教えて下さい」とメッセージがあったので記憶にある限り書いていこうと思います★
1.4歳で私が他人と自分の違いに気づくまで
私は保育園に2歳から入園したのですが、他人と違うかも?と思った記憶だけが鮮明に残っています
小学生になるまでの記憶ってあんまり残らないと思いますが、よっぽど衝撃だったのでしょうね
ちなみに退園して、幼稚園〜小学校はあまり記憶には残っていません
2.一斉指示が全く通らないりさ
年少になる頃から保育園の担任の先生によく怒られるようになりました
皆と同じことが全く出来ず、皆がクラスに入っても1人で運動場をフラフラしていることが多かったです
「何で勝手なことするの?」
「お母さんに言うからね」
と毎日のように先生から言われていました
自分でも『何で出来ないのだろう?先生はいつ言ったのだろう?』
と自分でも悩んでいたし親には怒られると思ってその状況の話を言いませんでした
3.保育園から親への忠告
「お子さんは障害があると思います」
と園長先生から親に言われたことがあるみたいです(ここまではっきり言われてないかも?)
私は家ではいいこタイプのADHDだったため(家は集団じゃないから)、親は全く聞いて無いし気づいていませんでした
おそらく親は早生まれだから〰とか言っていたと思います
それから親が全く聞かないことに諦めたのか、担任の先生、園長先生は私に直接言ってくるようになりました
「親にしんどいから病院に行きたいと言ってくれない?」
と毎日のように先生たちから言われました
私も親に言えないのでそのままにしていたら
「年寄りと同居している子ってダメよね、3文安いってりさちゃんのことだよ」
↑これに関しては他の祖父母同居の子にもよく言っていました◝(⁰▿⁰)◜
ここまで見て、なんて酷い保育園なのだろう?と思いましたよねw
でも先生たちの人格まで変えてしまうほど私は大変な子だったんです😂
4.同級生の反応
同じ保育園だった子は先生の私に対するイライラを感じ取っていたと思います
同じクラスの子は先生の顔色を伺っていて、
「それやったら先生怒るよ」
と毎日言ってくれていました(優しい)
本当にクラスの子には申し訳ない( *´д)/(´д`、)
ちなみに保育園からの友達は、誰も自分の子どもを保育園に預けていません
私と同じくトラウマなのでしょうね
そんなトラウマを植え付けてしまって本当に申し訳ない・・・
記憶がない頃の潜在的な植え付けって一生消えないと思う、この時期の対応はかなり大事だなと身をもって感じています
5.保育園のその後の対応
どの学年の話かちょっと覚えてないのですが、おそらく3歳から4歳?の進級が私1人だけ出来ませんでした
余りの私の出来の悪さに進級なしのむしろ落第?😂
保育園で進級出来ないって私以外聞いたこと無いです🤣
そのまま1年間は1つ下の学年クラスで1年すごし、退園しました
幼稚園に行くことを強く勧められ、ほぼ強制退園です🤣
おそらく安全性が確保出来なかったのでしょうね
私本人の話ですが、書いていても思い出してもかなり酷い子どもだったなあとしみじみ思います
今ほど療育もなかったし医療も発達していなかったので、ADHD本人の私も苦しいし、保育士さんたちもかなり私への対応がしんどかったと思います
「何で自分だけ怒られるのか?」
「なぜお友達のようになれないのか?」
「私、おかしいんだな1人だけ」
と毎日思っていました
ちなみに特に現実を突きつけられるのは運動会や発表会の練習です
自分が人と違うということが分かっているだけでも心の余裕は全然違っていたと思うし、正直ADHDと知ってからの人生の軌道修正、めっちゃ大変だったので余計にそう思います\(^o^)/
最後まで見てくださりありがとうございます(^^)
「4歳で他人との違いに気づいたと時の当時の話」という内容で書きました♪
今日は記憶がある限りサーっと書いたので見えにくかったらすみませんm(_ _)m
ではまた★
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