今日は「幼少期で破綻した母との関係」について書いていこうと思います
先に言うと、私は母を全く好きになれなかった子どもなので、とても暗い内容です
でも最後まで読んでもらえたら嬉しいですm(__)m
1.私の母は今もADHDの私が受け入れられない
私の母は私がADHDであることは知りません
正確にはりさに何らかの障害があるのは分かっているけど、受け入れられない、私からそんな子どもは産まれないと思っているタイプです
母の口癖は
「普通になりなさい」
「変なことするな」
「皆と同じことをしなさい」でした
次で幼少期の母との関係性を書きます
2.幼少期の母との関係
元々私の母は普通と少しでも違うような人への偏見がすごく、プライドの高い人でした
いわゆる教育ママで、私にいろんな習い事をさせて普通にしようとしていました(これが後々トラウマとなる)
「甘えている」
「だらけている」
「努力が足らない」
毎日のように母から言われていました
次第にエスカレートして、何か悪いことをすると押し入れに閉じ込められるようになり、日常的に叩かれるようになりました
今の時代なら確実に虐待です
3.母との関係が破綻した出来事
この頃私は7歳で、自分は甘ったれで悪い子、母の期待に答えるように毎日必死でした
習い事は確か5個くらい?毎日行きたくない気持ちを母への恐怖心から我慢して通っていたそんな時、習字の先生が都合で急遽お休みになりました
それを母がどこかに電話して暗い声で
「習字が休みになったんだけど、、りさを預かってくれない?一緒にいるの無理だわ」
と言っていたのが聞こえました
その時、気づいたんです
習い事は私のためじゃなくて、おかしいりさと一緒にいないための手段なんだな
他にもそう気づかせるエピソードは多々あるのですが、分かりやすいものだけをピックアップしました
4.母の前で仮面を被ったりさ
ADHDの人だったら分かると思うのですが、1度嫌いになった人を二度と好きになることはないですよね?
これは0か100か極端な考え方があるADHDの特性がそうさせるのですが、私はそれが母
そう思ってからもう14年位経ちますが、気持ちは変わらないし変わることはないと思っています
そして母の普通にしたい気持ちも変わらず、、
それから私は母の前で良い子を演じるようになります
何度生きづらさを母に求めても無駄な行為で、自分の心が楽になるのを知ってしまったからです
それからは
典型的な家ではいい子、学校では問題児でした
これがかなり悪循環となり小学校高学年になる頃には、先生から親が注意しても家ではいい子だから先生の話が全く耳に入らない様子でした
私はとにかく早く家を出たくてとにかく受験を頑張りましたね(いい面もあったw)
5.辛い過去の心の拠り所
私は親や祖父母には仮面を被るようになったけど兄弟には心を開いていました\(^o^)/
何より4人兄弟で過ごす時間が本当に楽しかったです★
学校で辛いことがあっても家に帰ると楽しくて切り替えられました♪
親との関係は破綻してしまったけど、兄弟とは今でも仲良しです!
兄弟は親には出来ない心のケアをしてくれると思っています
ただ健常の兄弟の気持ちは私には分からないので一概には言えないです
うちは兄弟全員がADHD気があるのでうまくいったのかもしれません
現在は私が遠方に移住したこともあり、何年も会ってないです
↑この判断は本当に良かった
前のブログにも書いたのですが、私に
「りさは頭が悪いから事務で働け」
と事務に対する偏見的なことをずっと言っていたので、本当は働いてないけど事務で働いていることになっています
それ以外にもいろいろ母に対してはフェイクしていることがたくさんあります
おそらく母の中ではりさという娘は思い描いた人生になっているのではないかな( ◜‿◝ )
↑ただこれが実家の近所で二次災害になってることはまた別の記事で書きます(;_;)
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ここまで読んでくださりありがとうございました★
「幼少期に破綻した母との関係」いかがだったでしょうか?
私の幼少期から現在までの母との関係性をリアルに書きました(◍•ᴗ•◍)
暗い内容で不快にさせてしまったらすみませんm(__)m
ではまた(^_^)/~
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