私がADHDと診断されるまで1 - りさADHDブログ

私がADHDと診断されるまで1

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管理人

子どもが3人いるADHDママです☆
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ADHD診断後に感じたデメリット ADHD診断まで

こんにちは☆りさです( ◜‿◝ )♡
今日から私がADHDとして診断されるまでの経緯、診断方法、実際の診断された時の診断結果の写真などを数個の記事に分けて書いていきたいと思います😆

1.人との違いに気づいたのは4歳のころだった

ADHDと診断されるまで保育園

私は人との違いに違いに気づいたのは実は4歳くらいです、ちょうど保育園の年少の時から自分自身に違和感を感じ始めていました(診断されたのは28歳なんですけどねw)
どんなことに疑問を持ったかと言うと、

「みんはは何ですぐに動けるの?わからないのはりさだけ?」

と思ったことから私の自分への違和感は始まります
どんなシチュエーションで違和感を感じたかというと
簡単に言えば保育園で先生からの一斉指示が通らなかった、理解できませんでした
先生の指示の内容が理解できず、いつのまにか近くに友達はいなくてあれ?と思っていると先生になぜ言うことが聞けないのか注意され、怒られる日々でした
ちなみに私の親は先生から良く呼び出され

「お子さんは障害があります、病院に行ってください」

と言われていたけど、そんなはずはないと親はキレて逆上するタイプでした
私は家では集団でない個人だから普通、保育園は集団だから問題児タイプだったのだと思います
ちなみにその後保育園を退園になっています
幼少期についてはかなり長くなるのでまた別記事で書きますね☺️

2.アルバイトでさらに増加した違和感

私がADHDと診断されるまで

それから困りながらも生きていき、大学に入った頃から違和感はかなり増えていきました
コンビニでアルバイトを始めた私は本当にコンビニ業務が出来ず、電子レンジを軽く燃やしてしまったり、レジの打ち間違いが多すぎて数ヶ月でクビになりました
今思えばコンビニってマルチタスクだからADHDには全く向いてませんよねw
できの悪い自分に毎日疲れる→絶望の日々を送っていました

3.違和感だけじゃ済まなかった就職時代

私がADHDと診断されるまで

大学を出て就職、ここが人生で一番辛かったですね
初めの部署では私のできが悪すぎて、部署の先輩の体調ですら悪くしてしまいました
電話業務と仕事量が多く、常に先輩の足を引っ張っていました
職場の先輩は地元の優秀な先輩で優しい人でした
しかし私のせいで鬼のような形相で毎日仕事をしている先輩を見るのが
本当に辛かったです
それから部署を2回変わり、やはり仕事の出来ない日々でした
周りも愛想をつかし

「理解力がなさすぎる」
「他の同期の子と比べても本当にひどい」

遠回しに職場をやめて欲しいと上司に言われて、新卒で入った会社を1年半でやめました
それから大学の時から付き合っていた今の旦那と結婚して、困り感はあったけど普通に生活していました
しかし子どもが産まれてからいよいよ生活することがかなり困難になったので今までのモヤモヤや困り感をネットで検索しました

すると検索で出てきた「ADHD」の文字

ネットに書いてある症状を見て、私だと確信しました
そのまま誰にも相談すること無く近くの精神科に電話して予約を取りました(衝動性強すぎますよねw)予約の日を決めてから旦那に報告しました
旦那もADHDの症状を見て
「確かにりさは普通とはかなりかけ離れていると思うし、一度病院に行ったほうがいいと思う」
旦那も私に対して理解できないことやいろいろと思うことがあったのだと思います
というのも生活そのものが酷すぎて、旦那も誰かにどうにかしてほしかったのかなと今は思います。ADHDと診断→改善されてからは旦那も笑顔が増えたような気がします( ◜‿◝ )

ここまで読んでくださりありがとうございます!
次の記事からは実際に病院でした発達検査やその後の病院転院した話などを書いていきたいと思います☺
実際の診断結果などの文章も載せる予定です!
良かったら次回も見ていただけると嬉しいです☺
では(/^-^(^ ^*)/

 

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